原爆の図 丸木美術館
阿波根昌鴻 写真と抵抗、そして島の人々

開催日 2024年2月23日(金)~5月6日(月)

〒355-0076 埼玉県東松山市下唐子1401
TEL:0493-22-3266









現在開催されている企画展「阿波根昌鴻 写真と抵抗、そして島の人々」を会期初日に観覧した
朝から霙交じりの冷たい雨の中、駅から30分ほど歩いて迷いながらも何とか丸木美術館に着いた。開館時刻まで時間が合ったので、傘を差して周辺を散歩していたら美術館の方が気の毒に思われ、30分以上も早く入らせていただいた

「原爆の図 丸木美術館」は1967年に開館し、2階には丸木俊さんと丸木位里さん夫妻の被爆の惨状を描いた原爆の図のほか、位里さんの母スマさんの絵も常設展示されている。経年による劣化に対する修復作業が愛知県立大学によって行われている
原爆の図は人が人を傷つける愚かさを静かに語っている。2階へ上がり、原爆の図の前にたたずむと時の流れを忘れ引き込まれる

企画展・阿波根昌鴻展は美術館1階で展示されていた
阿波根展を観ていると待ち合わせていた川崎市在住のH氏と落ち合うことができ、一緒に観覧した

沖縄の伊江島について吉村昭氏は「太陽が見たい」(吉村昭『空白の戦史』収録)を著し、私はこの本によって島のことを初めて知った。20代の頃だった。沖縄戦に先立って1945年4月16日に米軍が伊江島に上陸。4月21日の伊江島戦終結までに4500人が死亡し、うち1500人が島民だった。吉村昭氏の同著は伊江島戦当時19歳で看護隊員だった大城シゲさんの聞書をもとに氏特有の淡々とした、しかし心に沈み込む筆致で綴られていた
沖縄戦の組織的戦闘が終了したのが6月23日。日本の敗戦によっても沖縄の苦難は終わらず、全国にある米軍専用施設の70%超が沖縄県に集中していて、「
沖縄の中に基地があるのではない。基地の中に沖縄がある」とさえ言われる

阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さん(1901ー2002)は1903年上本部村(現本部町)に生まれた(戸籍上は1901年生)。1925年にキューバへわたり、1929年にペルーへわたった後に帰国。伊江島戦後に2年間の捕虜生活ののち1947年に伊江島へ帰島。1953年に米軍から初めて土地取り上げの通告を受けた。1955年3月完全武装の米軍300余名が伊江島に上陸、伊江島の阿波根家を含む13軒が理不尽にも破壊・焼き払われた
阿波根昌鴻さんはこの頃に二眼カメラを購入している。島でただ1つのカメラを使って米軍の強制的な土地収用、射撃演習場の被害などの記録写真を撮り続け、今日に残したネガはおよそ3000枚以上にのぼってる。阿波根昌鴻さんのカメラは記録するにとどまらず、島と島民を守るための道具として撮り続けた

後に「乞食行進」と呼ばれる行進と陳情について、1955年に阿波根さんは「堂々とした乞食でありました。正直に、事実を訴えました」(阿波根昌鴻『米軍と農民』(1973年)と述べている

非暴力の抵抗を貫く中から、次のような陳情規定もつくられている
1、反米的にならないこと
1、怒ったり悪口をいわないこと
1、必要なこと以外はみだりに米軍にしゃべらないこと。正しい行動をとること。ウソ偽りは絶対語らないこと
1、集合し米軍に応対するときは、モッコ、鎌、棒きれその他を手に持たないこと
1、耳より上に手を上げないこと(米軍はわれわれが手をあげると暴力をふるったといって写真をとる)
1、大きな声を出さず、静かに話す
以下、略
               以上、阿波根昌鴻『米軍と農民』(1973年)より引用

伊江島の団結道場壁に書かれた言葉には、次のような一節があった

 剣をとるものは剣にて亡ぶ(聖書)
 基地を持つ国は基地にて亡ぶ(歴史)

阿波根展は約350点が高精細デジタルプリントによって展示されていた。プリントは素晴らしかった
1965年撮影の子どもたちの写真があり、愕然とした。H氏は「この子たち、まだ元気でいる年代ですよね」と言ったが、1965年といえば1955年生まれの私がちょうど10歳だから、あの写真に写っている子たちと全く同じ年代に違いなかった

伊江島はおろか沖縄にも行ったことのない私。ただ不勉強を恥じ入るだけだった
なお本企画展主催は原爆の図丸木美術館、共催はわびあいの里、島の宝・阿波根昌鴻写真展実行委員会、キュレーターは小原真史氏(東京工芸大学芸術学部写真学科准教授)。デジタル高精細プリントで作品を今日に蘇らせた小原(こはら)真史さんや、協力して作業に当たられた小原(おばら)佐和子さん、阿波根昌鴻資料調査会、東京工芸大学他の関係者の皆さんのご苦労がうかがえる素晴らしい写真展だった

私の手元にある参考資料は次の通り
吉村昭「太陽が見たい」(『空白の戦記』所収、1981年)
阿波根昌鴻『米軍と農民』(1973年)
阿波根昌鴻『命こそ宝―沖縄反戦の心』(1992年)
堀切チエ『阿波根昌鴻 土地と命を守り沖縄から平和を』(2022年)


【以下、余談】

前夜24時15分に名古屋発の夜行バスで東京へ向かい、5時半に鍛冶橋着。ファストフード店は開店前から外国人観光客の長蛇の列ができていたので、諦めて電車に乗る。着いたらコンビニで食べ物を買おうと思ったものの、駅から美術館までの途中には何もなかった
前夜から何も食べないまま、午後に池袋まで出てようやく食事

それから東京国立近代美術館へ向かい、「中平卓馬 火―氾濫」を観た
1960年代後半から1970年代初頭の月刊誌『現代の眼』などが個人蔵として展示されていたり、私自身の経験と重なり合った不思議な時間と空間だった。NRの会が出版した月刊誌や雑誌の中には、この本は確か自分がまだ持っているはず、と思えるものもあった

前夜の夜行バスがあまり寝られなかったので、帰路に寝過ぎて乗り越さないかと心配したが、2つの写真展を観て気持ちが高ぶっていたせいか日をまたいで帰宅するまで目は冴えたままだった


■■ 阿波根昌鴻 写真と抵抗、そして島の人々 ■■
開催日 2024年2月23日(金)~5月6日(月)

原爆の図 丸木美術館
〒355-0076 埼玉県東松山市下唐子1401
TEL:0493-22-3266